2009-02-04

旬を大事に。

今日は少し、問題定義的なお話を。

最近、食に関する様々な報道・口コミなどなど、なにかと話題に上ることが多いですね。その中で「旬を大事に」とか「旬を頂く」なんて言葉もよく聞かれます。一般に「旬」というとどんなことを思い出しますか?一番美味しい時期であったり量が豊富に出回るとか。どちらも正解ではあると思うのですが、野菜づくりをしている自分にとっては、この2つが相反するのではないかと思うようになりました。

というのも、「一番美味しい時期」は技術的な面からみると、旬にかかわらず、技術的なもので解決できるのでは。。。特に野菜づくりの場合、出荷は「旬」であってもその何か月も前から土づくりをし、種をまき、管理をして、その結果として出荷するのが「旬」なだけであって、誰でも旬に美味しい野菜を出荷できるわけではありません。
「豊富に出回る」は市場原理の中では、多い=安い・少ない=高い、のみでの判断になるのは当然かと思います。これまた、旬とも関係なく、単に面積が多ければ多く出荷できるし、旬の時期でも天候不良などで量が減ることもあります。

ここに現在の農業に関するねじれが生じているのではないかと思うのです。生産者は安くたたかれる「旬」を外して出荷しようとする。その為、施設や加温など余計なコストがプラスされる。そこへ補助金なんてものがつぎ込まれ、生産者は「ものづくり」よりも「他の人のウラをつく」ために農業をしてしまう。食べる人も体にいいとTVなどで放送されると「一年中●●を食べたい」と思う。結果その中間に位置する流通関係者や小売店などは「年中切らさず出荷してください」となってしまう。。。そんな現状の中で、単純な市場原理のみが横行し農業は変な方向へと進み、一番大事な「いいものをつくってもその結果が反映されない」ことになってしまうと思うのです。結果、「旬を大事に」なんてことはどうでもよくなってしまっている気がします。

でなにが言いたいかというと、「旬を大事に」と思うのであれば、その時期のおいしい野菜に対してその価値をわかって頂ければと思うのです。「旬の野菜は美味しくて安く(ここでの安くは単に量が多いから買いたたくといった意味で)手に入る」のではなく「旬の野菜を美味しく出荷した生産者にはその価値に見合った価格で食べてほしい」そうすることで、生産者は旬のウラをつくための努力よりも、旬にいかに美味しいものを出荷するために努力をすることで己の技術を向上させる。食べる人は、季節感を感じ、本当に安心して供給する生産者を探し出す。これからは「多い」「少ない」ではなく、「ええか」「悪いか」でみんなが判断しるようになれば、純粋に「旬を大事に」できるのではないかと思います。

1 件のコメント:

ゆ吉 さんのコメント...

お久しぶりです。こんにちわ。野菜ソムリエ会でお世話になった住吉のゆ吉です。割とちゃんとブログ見させてもらってます。
思わず、コメントしてしまいました。本当にそうですよね。
美味しいもの・納得できるものにはそれなりの対価を払いたいですね。それによって、作る側も志を高くもっといい仕事をしようって思えるという循環が理想ですね。
誰かだけいい思いして、誰かがその分負担を背負ってるのは、良い関係とは言えないですよね。作る人・流通させる人・買う人・・・いい関係を築きたいものです。